症状が続々、だったけど、水際で押し返す感じでなんとか、
寝込んだりすることは免れた!!
お祈りしてくださった皆さん、ありがとうありがとう。
そんななかでも、金曜日には、用で近場だけど出かけたり、
普通に塾で教えたり、土曜日には、主にある心通じる友だちが
わざわざ横浜から来てくれて、一日を祈りと交わりで一緒に
過ごせたり、充実の日々だった。感謝じゃのう・・・!
きょうはほぼ普通モードの体調に戻って、だいたい通常ペース
の日曜日を過ごせた。
午前はいつもどおり、礼拝。
きょうはヨハネ8章12~20節。
出た感想は、「イエス様の発言て、よくわかんないこと多い~!」
とか「イエス様と父とが証人とかって、そういうのありなの~?」
とか。素朴な疑問。
でもそこからディスカッションになって、「でもイエス様って、
ここまで言えるってやっぱすごくない?」
「もしあなたがたが私を知っていたなら、私の父をも知ってる、
なんてなかなか言えるせりふじゃないよね。」
joshが「立場置き換えてみよ。僕がこう言ってるって考えてみて。
『もしあなたが僕を知っているなら、イエス様のことも知ってるはずさ』。
これはなかなか言えないよね~?」って。
「確かに~! よっぽどイエス様はお父さんと親密だったんだね。」
「それにさぁ、こんなこと言われても、わかんない人にはわかんなかった
よね、きっと。」
「理解されなくても誤解されても、あまり気にしないってとこ、イエス様には
あるよね・・。」などなどと・・・。
結論(みんなが共有できるものは特になし。私がきょう学んだこと)
「イエス様はお父さんとの切れ目のない親密な関係を持ってたから、
言うべき時に言うべきことを言う、ということについて、悩んだりしな
かった。聞く人がどう聞き、どう理解するか、誤解しないか、などを
意外と気にかけてない節がある。聞く人は聞きなさい、みたいな、
わかる人にわかればいいんだ、みたいな・・・。
父との関係が完全だから、すべて委ねていられたし、父の声に
従ってたから、余計なことは気にしないでいられたんだろう。
私もイエス様のように、主との親密な交わりを持ちたいし、そこに
根ざして、愛によって、周りの人たちに臆せず語るようになりたい
なぁ・・・。」
で、tackは、午後から英検を受けに行ったり、私とゆりは買い物に
出かけ、夜はO子台の教会の夕拝に行ったり、joshはEjinとの
アカウンタビリティの交わりのあと地域の自治会の総会に出席して、
その後、今日中に出さなきゃいけない仕事をやっつけてたり・・・。
それぞれの日曜日でした。
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