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ぺんぎん村日記

 4人の子どもを持つぺんぎんママが、クリスチャンホームスクーラーの日常を綴る。

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<子どもが家にいるということ>
長男が家にいるようになってからの日々は、
「これからどうしようか、どうなるんだろうか。
一体なにをどうすればよいんだろうか。」
と考える毎日でした。

当時、長男は基本的に自分の部屋にこもっていたけど、
それでも朝、昼、夜と1日三回は
顔を突き合わせて一緒に食事をし、
そのたびに言葉を交わすわけです。

そんな当たり前のはずのことが
なんだかうれしくも照れくさくもあり、
時間がゆっくり過ぎていくような感覚がありました。

がその一方、現実には「まったく1人きりになれる時」
というのが自分の生活からほとんど消えてしまったことで、
なんとなく落ちつかない、そわそわした日々を過ごしていました。



今から思えば、主の備えだったと思うのですが、
幸い私は、2000年5月に立ち上げられた『チアにっぽん』
(チャーチ&ホームスクーリングをすすめる会)の存在を創立期から知っていて、
マガジンを定期購読していました。

それで、
「我が家に起こっている事態は、神様から見るとどういうことなんだろう。」
と、マガジンを読みながら考えるようになりました。

ある時マガジンを読んでいて、
『ひきこもり、不登校は神様の恵み』という文章がに目が留まりました。
そこには、

「このような子ども達は『神様の視点で見れば特別な感性に恵まれた子ども達』であり、
『意識、無意識のなかで、神を抜き取った集団、神を抜き取った教育のシステムや
友人のあり方に対する違和感をとらえている』子ども達なのだ」

と書かれていました。
すぐにはぴんとこなかったけど、今まで思いつかなかった見方でした。

誰が悪い、彼が悪いと犯人探しをするわけではなく、
現代の社会のありよう、そして学校システムを考えるとき、
「一人一人を大切に」とか、「個性を尊重する」とか、
聖書の価値観に通じる教育目標を掲げることはできたとしても、
実行できる領域は、本当に限られていると思います。
そんななかで、「もうかなわない」と根をあげる子どもがいても
確かに不思議ではないな、と感じました。

また、、
「子どもを育てるということは、誰に対してより家庭、
すなわちわれわれ両親に与えられた特権であり、命令なのだ」
とあり、改めて自分の今までの子育てを省みる思いでした。

ほんとうに無頓着で、人任せな教育をしてきたな・・、と・・・。

こうして、だんだんと家庭と教育について情報を集め、
それらに基づいて思いを巡らすなかで、
「いよいよこれは本腰を入れて主に御心を尋ねなくては」
と思うようになっていきました・・。



<聖書の言葉からの語りかけ>
そんな11月のある朝から、
ある意味一大決心をした私は、
しばらくとだえていた朝の祈りの時間を再開しました。

長男が学校に行かなくなって、2ヶ月ほどが経った頃でした。

そして2日目の朝、主はイザヤ書、エレミヤ書をとおして、
多くを語りかけてくださったのです。

いろいろと考え、学ぶうちに、客観的には
「このホームスクーリングって、確かに神様のみ旨にかなったことなんだな」
思うようにはなっていました。
でも、これをほんとうに「自分が」やるように導かれているのか、となると
とたんに頭がぐちゃぐちゃになり、わからなくなるんです。

正直な私のホンネとして
「こどものために犠牲になるのは、もうごめんこうむりたい」
という思いがあったからかもしれません・・・。

でも主は、そんな私に、
イスラエルの民が、神の再三の立ち返りへの招きを聴きながら従わず、
背信を続けた姿を見せつけられました。





「エレミヤ3章より

『一つの声が裸の丘の上で聞こえる。
イスラエルの子らの哀願の泣き声だ。
彼らは自分たちの道を曲げ、
自分たちの神、主を忘れたからだ。
背信の子らよ。帰れ。
わたしがあなたがたの背信をいやそう。』(エレミヤ3:21,22)


    イスラエルの背信と主の嘆き
 主は最上のものを備え、両手を広げてイスラエルの帰るのを待っておられるのに、
彼らはあっちへこっちへとふらふらして、主のもとになかなか帰ろうとしない。
なんて愚かで、しかも「非効率」なこと。
 主のもとには私に必要なすべてが備えられている。
私はそれを本気で信じ、その信仰によって行動するのか、と今主に問われている。」
                      (2001/11/27の日記より)

 


主は、みことばによって、「これはあなたが犠牲になることではない。
あなた自身のために、私は最上のものを備えて待っているんだよ。
これは祝福の基だよ。心配事は委ねなさい。恐れることは何もない。」
と語ってくださいました。
でもその時の私は、神様にぐいぐいと自分の背中を押されるのを痛いほどに感じつつも、
まだ、「でも」「だって」と理屈をこね、言い訳を申し立てていたのです・・・。



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SALLYまたはSAORY
  • Author: SALLYまたはSAORY
  •  2001年の秋から4人の子どもたちを順次ホームスクーリングで育て始めて今に至ってます。2005年春には鎌倉へ、2007年秋には千葉県八街市へと住まいも移し、新しいミニストリー(創造主なる神様への奉仕としての働き)として、不登校の子どもを持つ家庭や、ホームスクールを選んだ家庭と連携し、サポートし合うネットワーク作りも始めています。なんとなく過ぎてしまう毎日の生活ですが、しばし立ち止まって、なにげない日常の中にある神様の恵みを見つけ、味わうためにもこの日記を書き綴っていきたい、と思ってます。

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