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ぺんぎん村日記

 4人の子どもを持つぺんぎんママが、クリスチャンホームスクーラーの日常を綴る。

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<昔からの通り道、幸いの道>

このセミナーは、チャーチスクール、ホームスクールの草創期のものだったので、
ほんとに密度が濃くて、朝から晩までへとへとになるほど
スケジュールが詰まっていました。

どっちかというと、
ゆったりした時間の流れの中でじっくりと思い巡らしと祈りに時を用いる、
リトリートスタイルの研修会に慣れている私には、
正直、かなりハードなものでした。

けれども、情報と主のお心に飢えていた私には
どの話もすばらしく、心深く探られ、
「もっと聴きたい」と思わされるものばかりでした。

多くの適切な御言葉と、力強い解き明かしに耳を傾け、
決して整った環境や恵まれた条件が揃っているとはいえない状況のなかで
実際にホームスクーリングに踏み切られた兄弟姉妹方の証を聴いていると、
「なぜおまえはできないと言うのか?」とますます主に迫られるのでした。

 

『主は私たちの神。主はただひとりである。
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、
あなたの神、主を愛しなさい。
わたしがきょう、あなたに命じるこれらのことばを
あなたの心に刻みなさい。
これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。
あなたが家にすわっているときも、道を歩く時も、
寝る時も、起きる時も、これを唱えなさい。』         (申命記 6:4~7)




この御言葉はよく知っていたけど、それまで、
本気で聴き、従おうとなどとは、正直なところ、
ろくに考えたことさえなかったと言わざるをえませんでした。

でも、イスラエルの民が、
歴史を通して文字通りこれに従い、
この教えを実行して今に至っていることを思わされた時、
もし本気でこの御言葉に従おうとするなら、
1日の大半を神様を知らない人々のなかで過ごさせることと
これを両立させることが実際可能なのか、
と、初めて考えさせられました。


  
『主はこう仰せられる。
「四辻に立って見渡し、
昔からの通り道、幸いの道はどこにあるかを尋ね、
それを歩んで、あなたがたのいこいの道を見出せ。
しかし彼らは『そこを歩まない。』と言った。 ………………。』
                            (エレミヤ 6:16)



この御言葉と、セミナーでの講演を通し、
「ホームスクーリングこそ『が昔からの通り道』ではないか。」と思わされました。

学校というものは、
近代になってこそ、だれもが当たり前に行くものとなってきました。
けれど、イスラエルの民のことを考えるとき、
彼らが、主から預かった大切な子どもたちの教育を
神を知らない人々に丸投げはしなかったことに気づかされます。

父親を中心とする家庭のなかで、
子どもたちは秩序を学び、教えを受け、
働く事を身につけ、信仰を受け継いで行ったのでしょう。

ふりかえって我が家と我が子らを省みると、
手のつけようがないほどに家庭の秩序は乱れきっていました。

親は権威がなくて右往左往しているわ、
子どもたちは不従順でわがままだわ…。

まるで、士師記にある
「そのころイスラエルには王がなく、
めいめいが自分の目に正しいと思える事を行っていた。」
を地でいってる状態。

でもその一方、さまざまな不安も頭をもたげます。
学校という枠組みを取っ払ってしまって本当に大丈夫なのか?
勉強、生活リズム、友達関係、地域との接点etc...。

私自身、学校社会にどっぷりつかって生きてきた方ですから、
子どもがまったく学校へ行かないなんて、
どういうことになるのか見当もつかない、
というのが正直な気持ちでした。

それでも主は、御言葉をもってさらに強い導きを、
また、ホームスクーリングやチャーチスクールで育って、
すばらしい主に在る成人となっている若者達の姿を通して
励ましを与えてくださいました。

 

『先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。
 見よ.わたしは新しいことをする。
 今もうそれが起ころうとしている。
 ……………。
 確かにわたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。
 野の獣、ジャッカルやだちょうもわたしをあがめる。
 わたしが荒野に水を湧き出させ、荒地に川を流し、
 わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。
 わたしのために造ったこの民は
 わたしの栄誉をの宣べ伝えよう。』(イザヤ43:18~21)



それまでの1ヶ月ほどの間、
何度も出会ったこの御言葉が、
いっそうりアルに迫ってくるのでした。

しかし、「もう時間の問題だな。」と自分でもわかっていながらも、
はっきりと「主の導きにお従いします。」と表明できたのは、
そのセミナーの最終日のことでした。


その朝、自分個人のデボーションで読んだエレミヤ書の御言葉が、
それまで以上に強く、「きょう。今。」と心に迫ってきたのです。



『耳を傾けて聴け。高ぶるな。主が語られたからだ。
あなたがたの神、主に栄光を帰せよ。
まだ主が闇を送らないうちに、まだあなたがたの足が
暗い山でつまづかないうちに。
そのとき、あなたがたが光を待ち望んでも
主はそれを死の陰に変え、暗闇とされる。
もしあなたがたがこれに聞かなければ
わたしは隠れた所であなたがたの高ぶりのために泣き、涙にくれ、
わたしの目は涙を流そう。
主の群れがとりこになるからだ。』 (エレミヤ13:15~17)



実は私のなかには、
「うちの場合はもう遅いのでは?今さら手遅れでは?」
という恐れも色濃くありました・・・。

なぜなら、参加者のお子さん達は就学前の年齢の子たちが多く
みんな素直で従順に見えたし、
若い親御さんたちの多くも
「我が子を主の戦士に育てるんだ。」
という希望に満ち溢れていたのです。

世間では子どもが2人も不登校になった家の親、
このセミナーに来てみれば、無頓着で信仰的に浅くて、目の開かれてない者。

自分がそんな者でしかないと感じられ、
どこにも居場所がなく、
場違いなところにいる落ちこぼれのようにさえ思われました.。
しかし、この御言葉を通して主は

「今ならまだ遅くない、今従うならまだ間に合うよ。
でも、もし従わなければ、わたしの愛するあなたの子どもたちはこの世の虜となり、
おまえの高ぶりと不従順のゆえ、わたしは涙を流すことになろう。」

と、語られたのです。

そして続く講演において、
「今主の召しの声を聴いている人は従いなさい」
という力強い招きがありました。

かくして頑なな私もようやく主に屈服するしか道がなくなり(笑)、
ようやく喜びと平安を頂いたのです。
わけても、帰りの新幹線の中でセミナーでの恵みを分かち合うなかで、
次男に洗礼を受ける決心が与えられたのは、
何よりの喜び、励ましとなりました。



一方、セミナーから帰ってきた私の変化に、
夫は初めのうちはついてゆけず、
当惑しつつ見守る、といった状態でした。


が、ともかくこうして、
次男との本格的な(?)ホームスクーリングが始まったのです。
               


   
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SALLYまたはSAORY
  • Author: SALLYまたはSAORY
  •  2001年の秋から4人の子どもたちを順次ホームスクーリングで育て始めて今に至ってます。2005年春には鎌倉へ、2007年秋には千葉県八街市へと住まいも移し、新しいミニストリー(創造主なる神様への奉仕としての働き)として、不登校の子どもを持つ家庭や、ホームスクールを選んだ家庭と連携し、サポートし合うネットワーク作りも始めています。なんとなく過ぎてしまう毎日の生活ですが、しばし立ち止まって、なにげない日常の中にある神様の恵みを見つけ、味わうためにもこの日記を書き綴っていきたい、と思ってます。

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